戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗


戦争まで
歴史を決めた交渉と
日本の失敗


加藤陽子 (東京大学文学部教授)


かつて日本は、世界から
「どちらを選ぶか」と三度、問われた。
より良き道を選べなかったのはなぜか。
日本近現代史の最前線。
ベストセラー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』第二弾!

紹介されました!

池澤夏樹さん毎日新聞、2016年9月4日いくつもの力の交錯がことを決める
「読んでいて、一段階ずつがスリリングで、ダイナミックで、おもしろい。〔…〕
 この書評を書きながら反省したのだが、結論に走ってはいけない。自分の意見に合うところだけつまみ食いしてはいけない。史料を読んで、過程を辿って、その中から今後に役立つものを誠実に抽出する。これはそのよい練習になる本である」


佐藤優さん(「AERA」、2016年9月12日号)
「日本の未来を真剣に考えるすべての人にとっての必読書だ」

保阪正康さん朝日新聞、2016年10月2日
「著者の知識に接する中高生たちの問題意識の鋭さは頼もしい。「普遍的な理念の具体化」が欠けていた時代だったという結論を読者もまた共有する」

筒井清忠さん東京新聞、2016年10月2日
「こうした多面的認識を説くことは大変好ましく、これからの若い世代はこうした多元性を身につけて国際情勢を見てもらいたいと評者も思う。〔…〕よい政治史を教えられない国民は過去に学ばない国民になる。〔…〕著者や私たちの使命はいっそう大きいといえよう。」

開沼博さん「サンデー毎日」2016年9月25日号思考を積み重ねたうえでよりよき選択ができるように

成田龍一さん日本経済新聞、2016年9月25日世界との交渉の経緯を再検討

原田敬一さん(京都新聞、神奈川新聞、2016年9月18日)世界が問うた三つの選択
「著者の采配に従い資料を読む受講生の疑似体験的ワクワク感も感じ取れるが、その史料読解作法は頭の中に立体的に現実を再現するというもの。〔…〕現在の政治的貧困の原因は、どうやら私たちの歴史への“振り返り”の貧困にあるようだ」

永江朗さん週刊朝日、2016年9月9日号、ベストセラー解読
「キーワードは「選択肢」だ。〔…〕一緒に史料を読み、ディスカッションしながら戦争突入以外の選択肢を探す。〔…〕当時は「これしかない」という空気が作られ、現在も「日本は戦争に追い込まれた」といういいかたがされる。しかし、加藤が中高生たちと史料を読んでいくと、別の様相が見えてくる」

読売新聞(2016年9月19日)文化面インタビュー
「あれだけ制約が多かった(大日本帝国)憲法の下でも多くの選択肢があったのだから、
 現憲法下なら選択肢はどれだけあるか。〔…〕選択肢をしぼらず、柔軟に考え抜くことが大切だ」


大槻慎二さん三省堂書店×WEBRONZA 神保町の匠
「このような講義を受けつつ、自分の目でしっかりと世の中を見極め、自らの頭で判断し、そして実際の交渉事に生かす術を身に付ける道が拓けている若い知性を羨ましいと思う。〔…〕このような困難な時代だからこそ、輝かせることのできる知性と言葉の力があるように思う」

週刊東洋経済2016年9月10日号著者インタビュー 3つの「選択ミス」が日本を戦争へと走らせた
「それでも、起こったのだ。そう認識すれば、いずれにおいてもその過程で
 さまざまに努力を払うべき度合いを高くしようという促しになる」


NHKジャーナル2016年9月16日
田口久美子さん:「戦争を知らない世代に薦める本」

文化放送 大竹まことゴールデンラジオ2016年9月6日

TBSラジオ 荻上チキ・Session-222016年8月15日
日本が戦争を選んだのはなぜか「日米交渉」から考える

日刊ゲンダイ ベストセラー早読み
「史料を丹念に読み、当時の日本の状況や海外諸国の事情を確認していくことで通説の裏に隠された事柄が見えてくる。〔…〕過去と地続きの今の日本を考えることができる」



戦争までの歴史を決めた三つの交渉を高校生とともに考えてゆく、6日間の講義録です。
扱うのは、日本と世界が斬り結んだ、決定的に重要な歴史の一場面、満州事変とリットン報告書/日独伊三国軍事同盟/日米交渉です。
国や個人は、どのように自らの立場を選択したのか、すればよかったのか。そこで悩み、考え抜いた人間から生みだされるものとは何か。当時の人間に見えていた世界を再現し、最適な道を見つけるにはどうすればよかったかを考えてゆきます。

国家と国民の関係の軸が、過去にない規模で大きく揺れ動いている。そして、わずかな偶然が世界のありようを大きく変えてしまうかもしれない。そのような時代の激変期である今、歴史を正確に知っていくことこそが、未来への処方箋となるはずです。瑞々しい問いを発する高校生とともに、歴史の面白さを全力で届けることをめざした本書を、ぜひご覧ください。


この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、掛け値なしにやりとりできるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります。(「講義の終わりに」より)




 本書は、「高校生に語る」と(めい)打ってはいません。しかし、六回にわたる連続講義を聴いてくれたのは、中学生を若干含むものの大多数は高校生でした。ならば、高校生に歴史を語り、彼らとの問答(もんどう)をなぜ本にまとめようと思ったのか。そこが問われるでしょう。
 普段の私は大学で歴史を教えていますから、あえて高校生に教えなくとも、彼らが大学へ入ってくるまで数年待てばよいのではないか、との声も聞こえてきそうです。また、本書を手に取って読んでくださる方々の多くが、心と頭の柔らかさなら中高生には負けない、と自負する中高年であっても、全くかまわないわけです。ならば、なぜなのか。
 その問いには、高校生というものが、選択を迫られる、有限の時間を生きているから、と答えておきたいと思います。彼ら高校生の前には、卒業後、働き始めるのか大学に進むのか、故郷で暮らすのか都会へ出て行くのか、文系なのか理系なのか、等々の人生最初の大きな岐路(きろ)が待ちかまえています。次の歌をご存じですか。一九六三年にリリースされた、舟木一夫(ふなきかずお)さんの歌う「高校三年生」では、校舎を染める赤い夕陽といった詞が、また、二〇〇一年にリリースされた、森山直太朗(発表時は直太朗)さんの歌う「高校3年生」では、授業中の君の背中といった詞が、有限の時間の持つ、かけがえのなさを見事に(とら)えていました。高校生を実際の年齢より大人に見せている理由は、彼らが、就職、受験、友人・家族との別れなど、大きな岐路を前にして日々を送る存在ゆえ、その緊張感ゆえ、とまとめられるでしょうか。
 ですから、私が講義を行なった中高生というのは、いわば理念型であって(生身の生徒さんに向かって理念型というのは、まことに失礼な話です)、この社会に生き、日々の選択を切実に促される立場にある人なら、中学生であろうと大学生であろうと子育て中の方であろうと社会人であろうと退職した方であろうと、すべて私が本を届けたい対象の方々に入ります。

 幸か不幸か、現代社会は我々に、選ぶのがきわめて難しい問題を日々投げかけ、起こらないと思われていたことも起こるようになってきました。二〇一六年六月二十三日、国民投票でEU(欧州連合)離脱の是非を問うたイギリスが、残留優勢との予測を大きく裏切り、僅差(きんさ)で離脱の道を選択して世界を驚かせたのは、みなさんの記憶に新しいところでしょう。
 難しいのは、選択という行為が真空状態でなされるわけではなく、さまざまな前提や制約下になされる点にあります。たとえば、民主政治の根幹をなす国政選挙で見れば、二〇一六年七月の参議院選挙から、これまで二〇歳以上であった選挙権が一八歳以上となり、新たに約二四〇万人の有権者が増えました。これは、将来的に国を担う層による、国の行方に関する意思決定を早く反映させたい、との考えによって導入されたものでしたが、以下のデータを見れば、国民一人ひとりの選択が、同じ重みを持っていない現実に気づかれるはずです。
 二〇一四年十二月の第四七回衆議院選挙を例にとれば、年代別投票率に人口をかけて得られる六〇歳代以上の票数は、二〇歳代の票数の約六倍にも達していました(「脱「シルバー」政治」、『日本経済新聞』二〇一六年六月十八日付朝刊)。年齢層によって、国に対して代議される際の実質的な重さが異なっているのです。
 また、「東京大学谷口(たにぐち)将紀(まさき)研究室・朝日新聞共同調査」が、この同じ第四七回衆議院選挙について調査したデータによれば、憲法改正について、有権者の賛成派(賛成・どちらかといえば賛成)が33%だったのに対し、当選議員中の賛成派は84%に達しました。自民党の比例区に投票した有権者に限ってみた場合、賛成派が46%だったのに対し、自民党の当選議員中の賛成派は97%に上ったこともわかっています(『朝日新聞』二〇一五年二月八日付朝刊)。
 憲法改正を例にとりましたが、一つの政策項目に対する有権者の意向と、当選議員の意向との間に、大きなズレの生じている現状が確認できるでしょう。社会に暮らす国民の意見の総体と、国会に参集する政治家の意見の総体に差異があるのです。多くの要因が考えられますが、その一つに、衆議院選挙における小選挙区制の問題や、参議院選挙における一人区(いちにんく)の問題など、結果の出方に癖のある選挙制度自体の問題があるのは確実だと思われます。
 次に、新たに選挙権を得ることになった一八歳と一九歳を対象にNHKが行なった世論調査を見ておきましょう。彼らが最も関心を持っている政治テーマは、雇用・労働環境、社会保障、景気対策だということがわかりました(「NHK世論調査 政治と社会に関する若者意識調査」)。この結果と、先の選挙の話を合わせて考えてみたとき、若者が重視する雇用・労働環境といった政策項目を、六〇歳代以上が重視する社会保障といった政策項目とともに、限られた国家予算の枠内で実現するのは、本当に難しいはずだと予想できそうです。
 イギリス国民が国民投票でEU離脱を選択した理由を、国際政治評論家のイアン・ブレマー氏は、次のように読み解いています。移民や主権をめぐる問題以上に、国家への国民の信頼感が希薄になり、国家と国民の間の社会契約が途絶えたと感じた、国民の側から国家への抗議の表現だったのではないか、と(『日本経済新聞』二〇一六年七月二日付朝刊)。
 私もまた、日本と世界の双方で、国家と国民との関係の軸が、過去にない規模で大きく揺れ動いているのではないかと感じています。このように見てくれば、人生の岐路に立たされた人々に対し、さあ選択せよと背中を押すだけではダメだということが見えてくるのではないでしょうか。彼らが選択から顔を(そむ)け、沈黙するのは、ある意味で無理からぬことなのです。
 そうではなく、選択の入口の地点で、ゲームのルールが不公正であったり、レフリーが不公平であったりする現状を目にしたとき、国家との社会契約が途絶えたと絶望する道をとるのではなく、ゲームのルールを公正なものに、レフリーを公平な人に代えていく、その方法や方略を過去の歴史から知ること、それが今、最も大切なことだと私は考えています。

 昨年、二〇一五年は、太平洋戦争が日本の敗北に終わってから七十年目にあたっており、日本政府は、同年八月十四日、閣議決定を経た文書として、「内閣総理大臣談話」を発表しました。そこに示された、幕末維新期から現在にいたる日本の歩みへの歴史的評価と、世界の繁栄を牽引する国家としての決意表明については、内外から多くの論評がなされ、本書の1章でもくわしく論じておきました。ただ、一人の歴史家として私がここで強調しておきたいことは、この談話が、国家によって書かれた「歴史」の一つにほかならないということです。
 では、国家が歴史を書く、歴史を語ろうと思うのは、いかなる場合なのか、また、一人の人間あるいは国民が歴史を書く、歴史を語ろうと思うのは、いかなる瞬間なのか。過去の歴史を正確に描きながら、そうすることで未来をつくるお手伝いをするのが歴史家の本分と心得て、1章では、国家と国民の関係が大きく動くとき、国家と国民の間でやりとりされた問題がなんだったのかを、遺産(のこ)された史料や演説の言葉から跡づけ、最新の研究の成果を取り入れて、論じておきました。
 続く、2章から4章にかけての三つの章は、本書の中核部分にあたります。選択という行為が真空状態でなされるのではなく、さまざまな制度の制約を受け、国際環境や国内政治情勢の影響下でなされることは、先にも述べました。そうであれば、国や個人が選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか、という点です。
当時の為政者やジャーナリズムが誘導した見せかけの選択肢ではなく、世界が日本に示した本当の選択肢のかたちと内容を明らかにしつつ、日本側が対置した選択肢のかたちと内容についても正確に再現しながら、世界と日本が切り結ぶ瞬間を捉えようと努めました。
 問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているか。この点に思いが至れば、恐怖や好悪という人間の根源的な感情に訴えかけられたり、「もし、こうすれば、確実に~できる」といった偽の確実性に訴えかけられても、冷静な判断が下せそうです。「歴史を選ぶ」際の作法を、過去の三つの歴史的事例から、みなさんと考えたかった理由は、ここにあります。
 世界が日本に、「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は、三度ありました。2章では、一九三一(昭和六)年九月、関東軍の謀略によって引き起こされた満州事変に対し、国際連盟によって派遣された調査団が作成したリットン報告書をめぐっての交渉と日本の選択を扱いました。リットン報告書が展開していた論理と提示していた選択肢は、実のところどのようなものであったのか、それをくわしく論じました。
 当時の日本の新聞などは、リットン報告書が出た瞬間、「支那側狂喜」などの煽動的な見出しを(かか)げ、報告書が中国の主張を全面的に支持していたかのような報道を行ないました。しかし、本文で述べたように、中国側の本当の反応は、リットン報告書を日本側の既成事実に配慮しすぎだと厳しく批判したものでしたし、報告書の実態も見出しとは違っていました。2章を読んでいただければ、報告書が、満州(中国東北部)に対する日本側の歴史的経緯に配慮しておらず、中国側に一方的に肩入れしたものだったとのイメージは一変するはずです。
 3章では、一九四〇年九月、ヨーロッパでの戦争と太平洋での日米対立を結び付けることになった日独伊三国軍事同盟条約締結について、イギリスやアメリカなどの動向も視野に入れながら、ドイツとの外交交渉や国内での合意形成の過程に焦点を当てました。この時期の日本は、一九三七年七月からの日中戦争を三年戦っていましたが、三九年九月からヨーロッパで開始された第二次世界大戦には中立の立場をとっていました。しかし、四〇年春から初夏にかけてのドイツの電撃戦によって、オランダやフランスなどが敗退した結果、ドイツと戦っている欧州の国は、実質的にイギリスだけとなっていました。
 ナチス゠ドイツは、第一次世界大戦後に構築されたヴェルサイユ体制の打破を呼号し、国民の圧倒的支持を得て政権につきました。欧州で電撃戦の勝利を挙げた、そのドイツが、それでは次に、東南アジアや太平洋へ向け、いかなる政策をとってくるのか。この点については、当然、日本側も注視していたはずです。3章では、内外の最新の研究成果を参照しつつ、日独伊三国軍事同盟条約交渉の裏面にあった日本側の意外な真意や、中国側の意外な反応などを明らかにしました。この章をお読みいただければ、日本の軍部がドイツの戦勝に幻惑(げんわく)され、「バスに乗り遅れるな」とばかりに同盟を締結したとのイメージも変わるはずです。
 4章では、一九四一年四月から十一月まで日本とアメリカの間で交渉がなされた日米交渉を取り上げました。交渉が頓挫(とんざ)した後に、同年十二月八日、日本によってなされた真珠湾攻撃については、七十有余年が過ぎた今もなお、実証的な歴史研究のほか、さまざまな解釈をとる本が多数刊行されています。歴史的には支持されないが、依然として人気のある解釈として、次のようなものが挙げられるでしょうか――いわく、欧州においてドイツと戦ってきたイギリスに援助を与え、ドイツの中南米地域への影響力の浸透を阻止したいアメリカは、かねてから欧州の戦争に参戦したいと考えていた。しかし、戦争に消極的な国内世論に苦慮した大統領らは、日本による真珠湾攻撃の予兆を暗号解読によって知りながらも、敢えて日本が奇襲攻撃を行なうのを待ち、国内世論を戦争へと燃え立たせたのだ、と。あるいは、石油の全面禁輸を行なえば、日本は対米攻撃を決意するはずだから、敢えて強硬(きょうこう)な経済制裁を行なったのだ、と――。
 真珠湾攻撃に関する、このような解釈は、それに先立って半年余りなされた日米交渉の始まり、交渉内容、日米双方の思惑(おもわく)を史料から見ていくことで、だんだんと否定されていくはずです。意外なことに、日本側もまたアメリカ側の暗号を高度に解読し、手の内を知りつつ交渉に(のぞ)んでいました。むしろ、日米双方にとって、交渉が不可欠とされた真の理由について、一つひとつ史料を(ぎん)()しながら考察していますので、楽しみに4章まで読み進めてください。戦争の惨禍の中で日本が自ら選び取った道については、終章をご覧ください。
 わずかな偶然が世界のありようを大きく変えてしまうかもしれない、そのような大きな時代の激変期に私たちは立ち会っています。戦争までの歴史を決めた三つの交渉、そこから今、学べることは決して少なくないはずです。



はじめに

1章 国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき

「歴史のものさし」で世の中をはかってみる
年齢で、伝える内容に制限をかけない/長いスパンでものを見る態度

現代の史料を、過去のデータと照らし合わせて読む
戦争と政治・外交は地続き/いくつもの「戦後」、見えにくかった犠牲の姿/歴史の中の沖縄/全国戦没者追悼式における象徴天皇の式辞/国民と象徴天皇との関係/日本政府はどのような言葉で、国民と国際社会に訴えたか/談話の中の日本近代の歩み/日本にとっての戦後とは/植民地帝国日本の経済力とは/日本帝国と植民地との緊密な経済的結びつき

歴史が書かれるとき
国家は歴史を形成する/七世紀、東アジアで戦われた、日中戦争/「日本という、新しい国の遣いとして来ました」

歴史の始まりとは
紀元前五世紀に生まれた歴史の問い/真実に近づくための言葉の営み/国民を主人公とした歴史が書かれるとき/経済学の目的とは/アメリカを独立させるべきか否か/世界の大きな分岐点


2章 「選択」するとき、そこでなにが起きているのか リットン報告書を読む

日本が「世界の道」を提示されるとき
日本と世界が「斬り結ぶ」瞬間/「選ぶ」ということ/満州事変――将来の戦争に備えるための占領計画/史料に残されていれば、二千年前のことでも論理は伝わる/リットン調査団が派遣された経緯/調査の旅から帰ったリットンが話したこと/リットンに日本が訴えたのは、戦争の歴史だった/リットンが提示した「世界の道」/リットン報告書の主な内容/リットンが提案した一〇の条件/お姉さんにあてたリットンの手紙/チャタム・ハウスでの賛成意見――現実的な処方箋だ/「支那はなんらの犠牲を払うことなく満州を回復した」/「大衆は多くの事実の真相を知らずにいます」

選択肢のかたちはどのようにつくられるか
報告書を待ちながら、日本の反応/溥儀にとっての満州国とは/中国側の反応/日本側はなにを恐れていたのか/関東軍が嫌がる条件とは/選択することの困難さを自覚する/領土を返還するか、占領を継続するか/日本が設定した選択肢、リットンが設定した選択肢はなにか/リットンが問いかけていたこと 満州という一部か、中国全体か

日本が選ぶとき、為政者はなにを考えていたのか
「弾圧」と「煽動」のキーワードからは見えてこないもの/政府や為政者の主張を制約するものはなにか/牧野伸顕内大臣――満人にも呼応する動きがあった/天皇――「日支親善できないか」/西園寺公望――采配の元軸を握るべき/松岡が最低限、確保しなければならない条件/松岡の粘り方/日本が「世界の道」を、もう一度示されるとき


3章 軍事同盟とはなにか 二〇日間で結ばれた三国軍事同盟

軍事同盟とはなにか
人類が大きな選択を迫られた軍事同盟/時間がドイツに味方していない/軍事同盟が現実的な議論になる国に/枢密院の審査はたった一日/軍事同盟に書かれる必須要素とは?

なぜ、ドイツも日本も急いだのか
イギリスの第二の選択肢/国家がなくなったところで起きていたこと/二十日間で結ばれた条約/マスメディアに伝えられた検閲基準とは/三国同盟を承認した際の御前会議/なぜ軍部より、首相や外相の見通しが甘いのか/「毅然たる態度が戦争を避ける」/調印直前、海軍大臣が代わる/条文を読む/名指しせず、アメリカを仮想敵国とする第三条/ 大東亜とはどこか/ドイツは前文の趣旨を理解しているのか

「バスに乗り遅れる」から結んだのではない
どうして日本は蹴れなかったのか/日本が三国同盟を締結し、ドイツに接近したかった理由/ドイツを牽制するための、対ドイツ同盟/大東亜共栄圏という言葉は、なんのため/ペンタゴンのヨーダが分析し続けていたこと/日中和平工作/選ぼうとする中国/軍事予算の陸海軍の比率は?/対米戦争の見通し 陸海軍で摺り合わせはできていたのか/選択するための「時間」


4章 日本人が戦争に賭けたのはなぜか 日米交渉の厚み

戦争前夜、敵国同士が交渉の席に着く意味は
日米交渉を担った二人 野村とハル/戦争前夜、敵国同士が交渉の席に着く意味は?/日米交渉と聞いて、なにを調べるか/「ハル・ノート」で罠に、はめられた?/アメリカの意図 なぜ、日米交渉をやるのか/日本の意図 なぜ、日米交渉をやるのか/チャーチルから松岡への手紙/ドイツ大使・オットから松岡への手紙

史料に残る痕跡
日米諒解案/日本とアメリカが実現したかったこと/首脳会談プラン、アメリカと近衛の関係/日米交渉、舞台裏の立役者/日米交渉の裏にある厚み

日本はなぜアメリカの制裁を予測できなかったのか
日中戦争解決策の変遷/武力行使の条件/被動者/「対英米戦を辞せず」という文言はなぜ入ったのか/南部仏印進駐をめぐって、なぜ日本側の目算は狂ったのか/北部仏印進駐でのアメリカの対応/日本の南部仏印進駐時のアメリカの対応/国民は、その道のみを教えられ続けてきた/外相人事と近衛メッセージ/交渉を制約したものは/尾崎秀実と天皇の国民観

絶望したから開戦したのではない
「日支新取極」とはなにか/妥結した場合の国内輿論指導方針/「駐米日本大使館員の勤務怠慢による対米通告の遅れ」という神話/アメリカの失敗/開戦、敗戦後の日米交渉の扱われ方/日本人が最終的に戦争を選んだ理由


終章 講義の終わりに 敗戦と憲法

講義の終わりに
国民を存亡の危機に陥れた戦争/沖縄の人々の意識を縛った、共生共死の四文字/洞窟で読み聞かされたビラ/中国での武装解除/戦争に賭けた日本は、なにに負けたのか/百年まえの古傷がうずく現代史/大東亜戦争調査会/日本の敗戦の記録は、世界に対する贈りもの/講義を終えて