朝日出版社

TED Books


知らない人に出会う
知らない人に出会う

キオ・スターク
向井和美 訳

「壁」の向こう側に、世界は広がっている。
道を歩いているとき、バスに乗っているとき、買い物しているとき、勇気を出して、知らない人に話しかけてみよう。
ちょっとした会話でも、驚きと喜びとつながりの感覚を呼び起こしてくれる。赤の他人だから、心を開いて話せることもある。
そうした体験は、あなたを変え、日々の暮らしに風穴を開け、この「壁の時代」に政治的な変化をも生み出す。
「接触仮説」は正しいか。「儀礼的無関心」をどう破るか。他者との出会いを日々研究し続ける著者が、路上の生き生きとした会話を引きながら、異質なものとの関わっていく「街中の知恵」を説く。

2017年7月15日発売
B6判変型/200ページ
本体1,500円+税

各オンラインショップにてご購入いただけます。
Amazon.co.jp

本書のインスピレーションとなった12分間の講演は、TEDのウェブサイト TED.com で無料で見ることができます(日本語字幕あり)。



Kio Stark
キオ・スターク(Kio Stark)
著書には他に、小説『Follow Me Down(わたしを追いかけてきて)』、独学のためのガイドブック『Don't Go Back to School(学校には戻らないで)』がある。現在はニューヨークのブルックリンで暮らし、日々、見知らぬ人たちに話しかけている。








向井和美(むかい・かずみ)
京都府出身。早稲田大学第一文学部卒業。翻訳家。訳書に『100の思考実験』『学校に通わず12歳までに6人が大学に入ったハーディング家の子育て』 『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊國屋書店)、『内向的な人こそ強い人』(新潮社)ほかがある。
趣味はバイオリン、短歌、鉄道ひとり旅。典型的な内向型だが、旅先で出会う人に自分から話しかけるのは得意。



自分を困惑させる 武田砂鉄

 「武田さんが原稿で言及されている女優なんですが、次号の表紙を飾るモデルと同じ事務所なので、もう少々表現を柔らかくしていただけませんでしょうか」と告げる編集者からのメールを読み、すっかり不機嫌なままCDショップに出向く。いつものようにデスメタルバンドの新譜をまとめ買いすると、快活な店員がそのうちの1枚を掲げ、「こちらをご購入のお客様には、特典ポスターをお付けしていますが!」と聞いてくるので「大丈夫です」と小さな声で答える。その「大丈夫」が「NO」を示すものだと気付くのに2秒ほどの時間を要する。立て続けに「ポイントカードはお持ちですか!」と聞いてくるので「大丈夫です」とか細い声で答える。1秒ほどの時間を経て「お作りしましょうか?」と聞くので「大丈夫です」と消え入りそうな声で答える。こちらから「あっ、領収書下さい。宛名は、武士のほうの武田で」と告げる。出てきた領収書には「竹田様」とあった。

 私が悪いのだ。そのまま「竹田様」を貰う。意思表明として曖昧な「大丈夫」を3度も繰り返し、店員の彼はその都度、曖昧な「大丈夫」からこちらの判断を嗅ぎ取り続けた。4度目の判断事項で、武士のほうの武田が竹田になろうとも、それはもはや彼のミスではない。ここでもし「竹田」のミスを指摘すれば、彼は平身低頭で謝り、その様子を見つけたトラブル解消好きのフロア長なんてのがわざとらしく駆け込んできて、事は拡大するかもしれない。こちらが優位な立場だからこそ、その事態を誘発してはならない。「竹田様」の領収書を甘受する。

 このCDショップの店員はひと頃前まで、名札に自分の好きなアーティストや音楽ジャンルを書き添えていた。自分の趣味と完全に合致する店員もいて、こちらがヘヴィメタルの新譜をレジに差し出せば、あちらの名札には「ヘヴィメタル全般」とある。ここで話しかければ、確実に話が弾むはず。でも、話しかけない。あちらは仕事だ。話しかければ、相当な上機嫌で、最近のおススメの1枚などを教えてくれるのだろう。だがしかし、お客様用に用意された上機嫌の「上」を引き算した後に残る本当の「機嫌」が分からない限り、その人に声をかけることなんてできやしない。先手必勝での「ヘヴィメタル全般」との開示に応えることはできない。近年、そういうことが多い。つまり、知ろうと思う前から、知らせてくるのだ。

 「とにかくこれだけは言える。知らない人に話しかけるのはいいことだ」と、本書は言う。人は日頃、「知らない人」を理不尽に規定する。知っている人じゃないから知らない人なんだ、とか、知る必要がないから知らない人のままなんだとか、自己都合で「知らない人」の基準を定めて、更新する。まさしく自分がそうであるように、有利・不利を即座に換算し、現状維持との判断を下したまま動かない。とにかくあらゆる人を「知らない人」のままにする。

 私は、メタルが好きだと名札に書いてある人と、メタルの話をしたくない。ふと知り合った人が実はメタルが好きだった、という状態でメタルの話をしたい。したいのに、出会いたいのに、出会おうとは試みていない。本書を読むと、自分が出会わないのは、あちらの情報が開示されすぎているからではなく、自分が自分を困惑させていないからだ、と気付く。歩くにしても、食事するにしても、検索するにしても、自分の想定を踏み外し、自分を困惑させることが対話の発生になる。

 自分を困惑させることで、相手を揺さぶる。ぶっきらぼうに「大丈夫」を連呼した結果、「竹田様」の領収証を得た自分は、武士のほう、鉄也のほうですよ、川中島の戦いのほうですよ、と、彼のミスに介入すベきだったのか。メタル好きと名札に書かれた店員にメタルのCDを差し出した私は、ところで最近おススメのボサノヴァってありますか、と尋ねるべきだったのか。こちらから仕掛けて、互いに困惑するべきだったのか。

 出会うって、合致じゃなく、違和から始まる。知らない人に出会うために、自分を開放する。そのためには、自分を存分に困惑させること、同時に他者を少々混乱させることが必要になる。今、知らない人にいくらだって出会えるのに、私はなかなか出会おうとしない。それは、先方の情報が開示されすぎているから、だなんて言い訳する。でも、整っていない出会いをくれ、に答えてくれる世の中ではないのだ。この本は、いや、だからさ、もうお前が率先して、色んな条件を踏み外せばいいじゃん、それで出会えよ、と告げてくる。誰かに出会う可能性を懸命に押し上げてくれる。その懸命さを買い、偉そうにも、わかったよ、出かけてみるか、出会ってやるか、という気になってくる。


たけだ・さてつ 1982年生まれ。出版社勤務を経てライターに。『紋切型社会』で「第25回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞」受賞。著書に『芸能人寛容論』『せいのめざめ』(益田ミリとの共著)、最新刊は『コンプレックス文化論』。








TED Books
TEDブックスは、大きなアイデアについての小さな本です。一気に読める短さでありながら、ひとつのテーマを深く掘り下げるには充分な長さです。本シリーズが扱う分野は幅広く、建築からビジネス、宇宙旅行、そして恋愛にいたるまで、あらゆる領域を網羅しています。好奇心と学究心のある人にはぴったりのシリーズです。TEDブックスの各巻は関連するTEDトークとセットになっていて、トークはTEDのウェブサイト「TED.com」にて視聴できます。トークの終点が本の起点になっています。わずか18分のスピーチでも種を植えたり想像力に火をつけたりすることはできますが、ほとんどのトークは、もっと深く潜り、もっと詳しく知り、もっと長いストーリーを語りたいと思わせるようになっています。こうした欲求を満たすのが、TEDブックスなのです。




閉じる