アメリカ・ペンシルベニア州のスワースモア大学教授で、専門は心理学。これまでに著書10冊、雑誌論文は100本以上を数える。
2004年、『なぜ選ぶたびに後悔するのか――「選択の自由」の落とし穴』を出版、『ビジネスウィーク』『フォーブス』両誌で年間ビジネス書ランキングトップ10に入り、25の言語に翻訳される。 以来、同書のメインテーマについて様々な角度から各媒体で記事を執筆(『ニューヨーク・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』『USAトゥデイ』『サイエンティフィック・アメリカン』『ハーバード・ビジネス・レビュー』『ガーディアン』など)。
2005年にTEDで講演し、以降多数のラジオ・テレビ番組に出演(「Morning Edition」「Talk of the Nation」「Anderson Cooper 360°」など)。
2009年、知恵の喪失についてTEDで講演、次いで『知恵――清掃員ルークは、なぜ同じ部屋を二度も掃除したのか』を同僚のケネス・シャープとの共著で出版した。
1973年生まれ。テンプル大学教養学部英文学科卒業。1998年より翻訳出版の版権エージェントとして勤務する傍ら、2001年よりマリオ曼陀羅の名義で画家としての活動を始め、国内外のギャラリー等で発表を行なう。『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』(伊丹市立美術館、2012年)において、壁画プロジェクト「キースが願った平和の実現を願って」を担当。『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會、2015年)ほか、イギリス、台湾で出版(イタリアでも出版予定)。
最近、日本では「働き方革命」という言葉をよく目にするけれど、本書が刊行されたアメリカでは、マインドフルネスのような瞑想法が、この数年でシリコンバレーをはじめとする企業文化にすっかり定着してきている。ストレスを減らし、集中力を高め、思いやりの心を育てる瞑想が、ひいては企業の生産性を高め、働く人のウェルビーイング(人が心身ともに社会的にもより良く生きる状態)を向上させるというわけだ。「仕事に情熱を感じている人々はたった13%」という本書にある衝撃的な数字の一方で、働く人がハッピーならば企業もハッピーだと多くの人が気づき、さまざまな業種で新しい試みが始まっているのだ。
僕はその原点が1960年代にあると思っている。ちょうど本書の著者シュワルツ氏が「40年にわたる思索」を始めた時代だ。黄金の50年代を経て当時のアメリカは大量生産/大量消費/大量廃棄社会をまさに完成させようとしていた(スーパーにはたとえばドレッシングが200種類近く並んでいるけれど、それで誰も幸せにはならない社会だ。詳しくは著者の別のTEDトーク「選択のパラドックスについて」をご覧あれ)。この巨大な経済システムを回す歯車を作るために、マスプロ教育が幅を利かせていた。本書で著者はアダム・スミスの『国富論』にある誤った考察(人間は本質的に怠惰であるという前提)の上に資本主義が築かれたと指摘するけれど、60年代はいわばその到達点だった。そこにNOを突きつけたのが、若きカウンターカルチャーの担い手たちだったのだ。
彼らは「自然回帰」を標榜し、顔を持たない巨大なシステムから積極的に抜け出して、人間本来のスケール感を取り戻そうとした。ヒッピーたちのバイブルだった『ホール・アース・カタログ』の編集に携わり、のちに雑誌『ワイアード』の創刊編集長を務めたケヴィン・ケリーによれば、彼らは自然を取り戻すために、大組織のためでなく、一人ひとりが人間らしく生きるためのツールとなる「適正なテクノロジー」を積極的に利用した。その実践が後のパーソナルコンピューターの誕生につながり、一方で禅や東洋思想の受容へとつながっていった。だから現在、アメリカ西海岸でエンジニアたちが坐布に座ってマインドフルな心を育むのは、「人間性の回復」というこの革命の自然な延長線上にあるのだ。
だからといって、「労働についても人間本来のあり方に戻ろう」と安易に結論を急がないところが、本書の最もユニークで面白い点だ。僕たちはこの21世紀にもう一度立ち止まって、「なぜ働くのか」を問い直さなければならない。なぜなら著者に言わせれば、人間と労働の関係を捉えることは、「人間の本質をめぐるメタファーの闘い」だからだ。著者は本書で「アイデア・テクノロジー」という言葉を用い、「人間の本性」といったものがアプリオリに備わっているわけではなく、ある概念(アイデア)がテクノロジーのように社会に普及することによって、まるで「予言の自己成就」のごとく発明されるのだと喝破する。それはまるでイデオロギーのように働いて、ときに社会に壊滅的な影響を及ぼすこともある。つまり、アダム・スミスの「予言」のように。
先のケヴィン・ケリーによれば、生物が生態系の中で相互に影響を与えながら、原核生物から植物、動物、そして人類まで進化したように、テクノロジーも人間や環境と相互作用しながら分岐し進化を続けていく。彼はそれを「テクニウム」と名付けたけれど、アイデア・テクノロジーとはまさに、人間の「本質」を強力に規定しそれと相互作用する点でテクニウムそのものだし、ここで決定的に大切なのは、人間が一方的にテクノロジーを進化させるのではなく、テクノロジーも僕らを進化させるという視点だ。
つまり、最終章「仕事の未来」で著者が「人間の本質をデザインする」と言うのは、まさにその意味においてなのだ。今後AIやシンギュラリティ(人工知能が人類を超える技術的特異点)の到来によって「機械が仕事を奪っていく」につれて、「人間の側に残された本質とは何か」が幾度も問い直されるわけだけれど、その「本質」自体がテクノロジーによって規定されるという再帰的な構造に、僕たちは自覚的でなければならないし、その限りにおいて、未来をデザインする主体はAIではなく人間側にあるはずだ。つまり本書は、AI時代における僕たち人間のサバイバルそのものを根源的に問う一冊でもある。
であれば、僕らはどんな「仕事の未来」をデザインできるだろう? 本書で冒頭から繰り返し提示されるのは、「自分の仕事は世界を変える可能性を秘めている」「他人の暮らしをより良いものにできる」という感覚であり、それはつまり、あらゆる労働において他者への共感や利他の視点を取り入れることだ。実際のところ、「コンパッション(思いやりや共感)をベースにしたウェルビーイングの構築」こそが、企業にとっても、あるいは商品やサービス、それに個人にとっても、マインドフルなこれからの時代の本質的な価値なのだと、僕は最近強く感じている。その意味で、僕たちがこれからデザインしていく未来に、本書は明確な道筋を与えてくれるはずだ。
まつしま・みちあき 編集者/NHK出版編集長。手がけた書籍に、デジタル社会のパラダイムシフトを捉えたベストセラー『フリー』『シェア』『メイカーズ』『〈インターネット〉の次に来るもの』等がある一方、『BORN TO RUN』『マインドフル・ワーク』など身体性に根ざしたタイトルで、新しいライフスタイルの可能性を提示している。